2023年10月17日
重要
歴史の解説⑥〜奈良時代〜
皆さんこんにちは、
s-Liveかながわ相模原富士見校スタッフです!!
今回も、前回の飛鳥時代に引き続き、歴史のおさらいをしていきましょう!
奈良時代の始まりは、唐の都をお手本にした平城京に、
710年に遷都されたことからはじまります。
日本初の本格的な都市で、どのような文化が営まれたのか、詳しく見ていきましょう!
奈良時代のポイントは、
飛鳥時代から始まった律令制が整備されていくこと、
飛鳥時代に伝来した仏教が力を増していくことです。
具体的な法令の名前や、
外国との交流など細かい知識も増えていくので、がんばりましょうね!
701年の飛鳥時代に、大宝律令が制定されました。
奈良時代では、
この大宝律令をもとに、国家のシステムが形作られ、支配体制が変わっていきます。
まず覚えるのが、班田収受の法です。
これは、6歳以上の男女に口分田という田んぼを与え、
その収穫を税金として納めさせる法律です。
国の土地は天皇のものなので、天皇が農民たちに与えるという形なのがポイントですね。
この収穫したお米の3%を納める税を租と呼び、
他にも、庸、調という税や、軍役が課されました。
このようにして国民の支配を進めていった奈良時代ですが、
とある法律を機に、その支配体制は変わって行くことになります。
その法律が、墾田永年私財法。
飛鳥時代の記事では、公地公民制という言葉を勉強しましたね。
国の土地も国民も、全ては天皇のものという前提があるのです。
ですから、当時の日本では私有地・私有民を持つことは禁じられていました。
しかしこの墾田永年私財法では、
土地を開墾した者に、その所有を認めました。
当時は、まだ手つかずの土地がたくさんあったので、
政府は使える土地を増やしたかったのですね。
これに張り切ったのは、貴族や寺社たちです。
たくさんの人を動員できるので、自分たちの土地を増やしていきました。
この動きによって、全国で荘園という私有地が増えることになりました。
もう一つ押さえるのが、仏教の広まりです。
当時の奈良時代の暮らしは、現代から見て良いものではありませんでした。
飢饉や病の流行などによって、人々が飢え苦しんでいたからです。
そのような状況の中で、仏教がその影響力を増していくことになります。
奈良時代の天皇の1人である聖武天皇は、
東大寺というお寺を建立しました。
さらに、国ごとに国分寺、国分尼寺というお寺を作らせ、
仏教で国を守ること(鎮護国家)を目指していきました。
東大寺は、みなさんも修学旅行で見るかもしれませんね。
この聖武天皇は、大仏やお寺を作るために、
仏教が盛んな唐、現在の中国からお坊さんを招きます。
その1人が、有名な鑑真です。
何度も航海に失敗して失明しながらも、日本に仏教を伝えたお坊さんをです。
当時は、遣唐使という日本から中国への使節が渡ってので、
唐とは文化的な交流もありました。
奈良時代の正倉院という遺跡には、唐の品物がたくさん保存されています。
以上が、奈良時代のおさらいです。
奈良時代や、この先の平安時代などは、とてもボリュームのある時代です。
ひとつひとつ、教科書で出来事を整理しながら学習していきましょうね!
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