2023年10月31日
重要
歴史の解説⑧〜鎌倉時代〜
皆さんこんにちは、
s-Liveかながわ相模原富士見校スタッフです!!
今回の歴史の振り返りテーマは、鎌倉時代です!
鎌倉時代から、日本史では中世と呼ばれる時代へと入ります。
鎌倉時代を学習するうえでは、
なんといっても武士の存在が重要です!
平安時代の終わりには、平氏や源氏などの武士が現れ、力をつけてましたね。
平安時代までの天皇中心の律令体制を目指した時代を経て、
鎌倉時代からは、武士を中心とした世の中で、
封建制度という形の政治体制へと変化していきます。
ここでは、その鎌倉時代の歴史の流れをみながら、時代の特徴をつかんできいましょう!
鎌倉時代の幕開けは、
前回も登場した源頼朝の時代からです。
彼は、全国に守護と地頭という役職を設置します。
そして、征夷大将軍へと任命されます。
武士による支配体制が、強化されていったのですね。
先ほど、新たな政治のしくみとして、封建制度という言葉を出しました。
封建制度とは簡単に言うと、
土地を通じて結ばれた主従関係です。
各地の武士たちは、将軍に忠誠を誓い、戦いの際には一族で戦います。
そして、そのご恩として、
幕府は武士たちの土地を保証したり、新たな土地を与えたりするのです。
この封建制によって、鎌倉幕府は支配を進めていきました。
頼朝の息子の頼家ですが、彼は若かったため、
有力な御家人たちが集まり話し合いで政治を行いました。(十三人の合議制)
そんな中で力を持つようになったのが、北条氏です。
北条時政は、執権と呼ばれる鎌倉幕府のNo.2の座を手に入れます。
そして、この執権というポジションは、
北条氏一族によって独占され、その後の義時、泰時と続いていきます。
義時の時代には、承久の乱が起こります。
北条政子の演説が有名ですね。
力を増す鎌倉幕府をよく思っていない後鳥羽上皇が挙兵し、
そして敗れたという出来事です。
北条政子は、朝廷軍に動揺する御家人たちに結束を呼びかけ、
そして後鳥羽上皇の軍をみごと打ち破ります。
この出来事からも、当時の幕府の存在感がよく分かると思います。
鎌倉時代の出来事で他にも有名なのが、蒙古襲来ですね。
北条時宗の時代に起こった出来事です。
当時、ユーラシア大陸をまたがる巨大な帝国が築き上げられていました。
そのモンゴル帝国(元)を作ったチンギス・ハンの孫、
フビライ・ハンは、日本も支配しようとしてきます。
執権の時政に服属を要求しましたが断られたため、
元軍が日本に2度襲撃してきます。
1回目を文永の役、2回目を弘安の役と呼びます。これが、蒙古襲来です。
元軍の集団戦法や新たな武器に苦しめられますが、
結果的に、天候に恵まれた日本側の勝利に終わります。
この蒙古襲来は、のちの鎌倉幕府にとって重大な出来事となります。
次に後を継いだのは北条貞時ですが、このころから、幕府の力は弱くなっていました。
原因は蒙古襲来にあります。
先ほど、ご恩と奉公のしくみを紹介しましたね。
蒙古襲来でも、武士たちは幕府のために働きました。
しかし、幕府にはもうご恩として払える十分な土地がなかったのです。
この機を狙って、幕府を倒そうとしたのが、
当時の天皇、後醍醐天皇です。
幕府に渡った政治の実権を、取り戻そうとしたのですね。
一度は島流しにされますが、足利尊氏や新田義貞の活躍により、
執権北条高時の時代に、鎌倉幕府は滅亡します。
その後、政治の実権を取り戻した後醍醐天皇は、
建武の新政という新たな政治を行いましたが、2年で挫折してしまいます。
今回はここまでとしましょう。
鎌倉時代の出来事は、その内容と前後関係を知っていれば、簡単に覚えることができます。しっかりと覚えていきましょうね!
学習相談、無料体験などのお問い合わせは、下記のご連絡先でも受付ておりますので、
お気軽にご連絡ください!
教室名 :s-Liveかながわ相模原富士見校
TEL :042-704-8660
Mail :slive.sagamiharafujimi@gmail.com