2023年12月12日
重要
歴史の解説14 〜明治時代〜
皆さんこんにちは、
s-Liveかながわ相模原富士見校スタッフです!!
前回の記事で長かった江戸時代に区切りがつき、今回からは明治時代を扱っていきます!
明治時代のキーワードは、近代化。
それまで鎖国をしていた日本は、
外国と渡り合える力をつけるために急速に発展します。
そんな明治時代の大まかな流れを、2回に分けてお話したいと思います!
前回は、戊辰戦争の開幕で終わりましたね。
戊辰戦争で敗れた旧幕府軍は賊軍という烙印を押され、
ここで江戸時代は完全に終わりを迎えます。
そして、新政府による政治がいよいよ始まります。
この新政府、明治政府による政治の改革が、
明治維新です。
明治政府は、まず新政府の樹立をアピールするために、
今後の政治を誓う五箇条の誓文を作成し、
さらに、庶民向けの法律として五榜の掲示も発布しています。
そして明治政府の枠組みが本格的に決まったのが、
五箇条の誓文をもとにして作った政体書です。
鎖国状態であった日本が外国と渡り合うためには、
まず社会制度から近代化していかなくてはなりません。
そこで、アメリカを参考にして、
立法・行法・司法という三権分立を目指す体制を決めます。
もう少し明治政府の改革を見てみましょう。
版籍奉還を経た廃藩置県により、
それまでの藩制は廃止され、代わりに今と同じ県が置かれます。
江戸幕府では当たり前だった身分制が廃止され、四民平等が掲げられます。
実質的な差別は残り、完全な平等が達成されたわけではありませんが、
江戸時代から続く厳しい身分制は撤廃されます。
さらに、税制が変わったのも大きなポイントです。
これまでの作物を納める税から、地租改正によって金納、現金での納税になります。
自分の土地は自由に使って良い代わりに、土地に税を支払うようになったのですね。
ここらへんが具体的な政策のお話です。
さらに、政治体制の動きについても見てみましょう。
外国と渡り合える国作りのためには、まず近代化を進めなくてはなりません。
岩倉具視をリーダーとした岩倉使節団は、
大久保利通、木戸孝允、伊藤博文ら、
薩摩・長州の大物たちで構成されたメンバーで外国へ視察に行き、
近代化の必要を痛感しました。
この外国へ視察向かったグループ(洋行派)と、日本に残った留守政府との間の対立が、
その後の政治を動かしていきます。
江戸時代を思い出してみると、
倒幕の時に中心になって活躍したのは、長州藩や薩摩藩などの力のある藩でしたね。
明治時代になっても、このような力のある藩出身の人たちが政治を握っていました。
板垣退助や大隈重信などの他の藩の人々は、
この現状を批判し、薩長を中心とした政治を脱却しようとしています。
朝鮮を巡る議論でこの2グループの対立が深まり、そして起こったのが、
自由民権運動、国会開設を目指す運動です。
留守政府側の西郷隆盛、板垣退助たちは、政界を去り、
この運動を進めていきました。
そして運動が盛んになっていき、
ついに明治政府は十年後の国会開設を約束します。
板垣退助は自由党、大隈重信は立憲改進党という政党を作り、
国会開設を待ちますが、結局この2つの政党は国会の改革を待たずして解散してしまいます。
政府は約束の通り1885年、
伊藤博文を内閣総理大臣として国会を開設します。
このころには自由民権運動は下火になっており、
内閣を構成するメンバーはそのほとんどが薩長の人間でした。
だいぶ濃い内容でしたね。次回からは、内閣の様子を中心に見ていきましょう。
学習相談、無料体験などのお問い合わせは、下記のご連絡先でも受付ておりますので、
お気軽にご連絡ください!
教室名 :s-Liveかながわ相模原富士見校
TEL :042-704-8660
Mail :slive.sagamiharafujimi@gmail.com