2023年12月26日
重要
歴史の解説16〜大正時代〜
皆さんこんにちは、
s-Liveかながわ相模原富士見校スタッフです!!
前回は、日本が日清・日露戦争の末に韓国を併合したところまでを復習しました。
今回からは、そんな明治時代も終わり、短い大正時代へと入ります!
大正時代は時代としては短いですが、出来事はてんこ盛りです。
2回に分けてお話するので、注意深く見ていきましょうね。
大正時代の前期、まずは国内政治から。
このころ、第一次護憲運動という活動が起こります。
いったいどのような運動なのでしょう?
第一次護憲運動で掲げられたスローガンは、「閥族打破」「憲政擁護」の2つです。
漢字から、なんとなく想像してみてください。
閥族というのは明治時代からずっと問題視されてきた、
政治の中心となる薩摩・長州出身の人々のことですね。
第一次護憲運動というのは、第三次桂太郎内閣に反発して起こった、
藩閥政治をやめ、憲法を守り、政党政治をするために始まった運動です。
結果、この運動によって当時の内閣総理大臣桂太郎は、
たったの50日で退陣することになりました。
次に、国際情勢にも目を向けてみましょう。
第一次世界大戦、という単語はみなさん知っていますね。
第一次世界大戦が起こったのは、1914年、大隈重信内閣のときでした。
第一次世界大戦とは、ヨーロッパを主戦場として起こった世界規模の戦争です。
イギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国と、
ドイツ、イタリア、オーストリアを中心とする同盟国に分かれて戦いました。
この戦争での日本の立場は、連合国側です。
これはなぜかというと、当時日本は、イギリスと日英同盟という同盟を締結していたからです。
そして日本は、この機に乗じて中国の支配を進めようと、
中国にある要求を押し付けることになります。
それが、二十一ヵ条の要求です。
戦争中だったドイツの持つ中国の土地の権利を、日本に譲渡するよう要求します。
もちもん中国には拒否することはできないので承認し、
あとから日本はこの要求を諸外国にも認めさせています。
このようにして、第一次世界大戦の中で日本は権益を獲得していきますが、
ここで、戦争中のロシア国内で革命が起こります。
ロシアが、革命によって社会主義国になったのです。
私たちの生きる現代には社会主義の国もありますが、
当時は資本主義が当たり前です。
特に、資本主義のもとで力を持った資本家からしたら、
それを否定する社会主義は恐れるべきものでした。
そのため、アメリカ、イギリス、フランス、日本の連合軍は、
ロシア革命に対して出兵を行います。(シベリア出兵)
このシベリア出兵は、国内の政治にも影響を及ぼします。
出兵となると、当然食糧がたくさん必要ですよね。
ここに目をつけた商人たちは、お米の値段が高くなってから売ろう!と考えて、
米を買い占めてしまいます。
すると、一般の人々は必需品であるお米を入手できなくなってしまいます。
そして、値上がりするお米が原因で、
ついに米騒動という暴動にまで発展してしまいます。
このように、大正時代の前半では、
第一次世界大戦→二十一カ条の要求→ロシア革命→シベリア出兵→米騒動という流れがあり、
よく見てみると前後に関係があることがよくわかりますね。
大正時代は明治と同じくらい内容がたくさんですが、負けずにがんばっていきましょう!
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