2024年01月23日
重要
歴史の解説19〜昭和時代②〜
皆さんこんにちは、
s-Liveかながわ相模原富士見校スタッフです!!
前回は、日中戦争開戦までをお話しましたね。
軍部の影響が強くなっていった日本では、戦争中心の国家体制が成立していきました。
今回の記事では、日中戦争、第二次世界大戦、そして太平洋戦争を経て、
日本が降伏するまでの過程を見ていきます。
時代の流れを抑えながら、理解していきましょう。
まずは、日中戦争のお話に戻ります。
中国では、対立していた中国共産党と国民党の2つの勢力が手を結び、
抗日民族統一戦線を結成して日本の侵略に抗いました。
そのため、日本は当初の見立てよりも戦況に苦戦することになります。
戦争は長期化し、日本軍による南京大虐殺といったの悲惨な事件が起こります。
国内では、国家総動員法という法律を公布することで、
資源、資金、労働力をすべて戦争に動員する体制を作りました。
「ぜいたくは敵だ」というスローガンのもと、人々は戦争のための生活を強制され、
日常は戦争が中心となっていきます。
日本が苦戦する中、
ヨーロッパでは、世界規模の戦争が再び起こります。
第二次世界大戦です。
ドイツのポーランドへの侵攻をきっかけとして始まり、
フランスを降伏させるなど、その様子が日本にも伝わります。
そこで日本も、
ドイツのような国家体制を作ろう、
そして東南アジアにあるイギリスやフランスの植民地を獲得して、現状を打開しよう、
という南進論を求める声が高まります。
日本は日独伊三国同盟を結ぶことで、
ドイツ、イタリア、日本の枢軸国での連携を強め、
戦争とファシズムへと歩みを進めていきます。
結果、すべての政党は解体され、
大政翼賛会が結成されることで政党政治は機能しなくなり、
そして日本は、東南アジアへの侵略を開始していきます。
日本は、中国の補給ルートの遮断と資源の確保を目的として、
フランス領インドシナへの侵攻を始めますが、
これはアメリカとの対立を招きます。
アメリカとの対立が強まる中、日本は開戦を決め、
マレー半島への上陸と、真珠湾攻撃を行うことで太平洋戦争に突入します。
しかし、開戦から徐々に戦況は苦しくなり、
ミッドウェー海戦で空母4隻を失うなど、
制空権、制海権を失いながら日本の戦線は後退していきます。
沖縄本島では、米軍の上陸による激しい地上戦が起こり、
民間人を巻き込み多くの犠牲を出しました。
そのような状況の中、日本は本土での決戦を叫び、戦争への準備を進めます。
しかし、1945年5月8日にはドイツが降伏し、
7月26日には日本への降伏勧告(ポツダム宣言)が発表されます。
降伏勧告を黙殺する日本に対しアメリカは、
日本のポツダム宣言無視を理由として、
8月6日、8月9日に、
それぞれ広島と長崎に原子爆弾を投下しました。
原爆は甚大な被害と衝撃を日本に与え、
日本は8月9日に、ポツダム宣言を受け入れ降伏しました。
駆け足でしたが、以上が日本の終戦までの流れです。
教科書を読みながら復習して、歴史の流れを掴んでいきましょう!
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