2023年10月24日
重要
歴史の解説⑦〜平安時代〜
皆さんこんにちは、
s-Liveかながわ相模原富士見校スタッフです!!
時代は進み、今回のテーマは平安時代です!
平安時代でみなさんが覚えるのは、
何度も目まぐるしく変わるその時の政権を握る、権力者たちです。
ここでは、大まかに政治の流れを追いながら、
その権力者たちの特徴、そして、時代の変化を見ていきたいと思います!
平安時代の特徴は、
律令制の再建とそしてその失敗、
さらには鎌倉時代につながる武士の登場です。
平安時代は、
794年、平安京への遷都から始まります。
奈良時代の仏教勢力を退けるため、
つまり都にあるお寺を遠ざけるために、遷都をしたのです。
このときの政治の中心は桓武天皇。
彼は、律令体制を立て直すために、
都を造営したり、
征夷大将軍という天皇に従わない地域の人々を従えるための官職を作ったりなどをしました。
このころから、藤原四家という4つの家のうち、
藤原北家という家が権力を握るようになってきます。
そのきっかけは、
あとを継いだものの、病弱のため天皇の位を譲った平城天皇を、
もう一度天皇にしようという政変、薬子の変です。
薬子さんは、藤原式家の家の方で、平城天皇がもう一度天皇になることを望んでいました。
結局、この政変は失敗に終わり、藤原式家は衰退し、
変わりに藤原北家が権力を握ることになります。
新たな天皇、嵯峨天皇のもと、
藤原北家の人々は、その後も天皇の側近として活躍するようになります。
藤原北家の藤原良房は、
まだ9歳の清和天皇を補佐する摂政という役割につき、政治を動かすようになります。
さらに、養子の藤原基経は、
高齢の天皇、光孝天皇を補佐する関白として、
こちらもまた政治を裏で動かすようになります。
これが、藤原氏による摂関政治です。
藤原氏は天皇の摂政、関白という位置から、
政治の実権を握るという体制を確立していったのです。
この摂関政治の全盛期になるのが、
藤原道長、藤原頼道の時代です。
栄華を極めた藤原道長が詠んだ歌が、とても有名ですね。
さらに、このあたりの時代になると、
貴族が自らの土地(奈良時代で学習した荘園を思い出しましょう!)を守るために、
武士を雇うようになります。
公地公民制のもとでは国家が守っていた土地を、
自分たちで武装して守る必要が出てきたのですね。
さて、ここからは平安時代の後期に入ります。
後期になって出てくる政治の中心となる存在は、
上皇(天皇をやめた後の天皇の呼び方)です!
それでは見ていきましょう。
藤原氏の摂関政治を抑えるため、
当時の白河天皇は、
まだ8歳の息子に位を譲ったあと、自らが上皇となって政治を行いました。
平安時代後期には、この上皇が政治の実権を握るという院政が行われることが特徴です。
院政は、白河上皇の後も、鳥羽上皇と続きます。
しかし、鳥羽上皇が亡くなった後に、
彼の後をめぐって保元の乱が起こります。
この乱には、平氏、源氏といった武士勢力がそれぞれ加わることになります。
結果的に勝った天皇が、後白河天皇です。
そして、彼のもとについた平清盛と源義朝が、その後力を増していきます。
後白河天皇が上皇となり院政を開始すると、
平清盛に太政大臣というトップクラスの位を与えます。
平清盛をはじめ平氏は栄華を極め、権力を握ります。
平清盛は、自分たちを討伐しようとしたという理由をつけて、
後白河上皇を幽閉します。そして、自らの息子を天皇にしようとまでしました。
しかし、源頼朝が派遣した義経、範頼によって
壇の浦の戦いで平氏は滅ぼされることになります。
以上が、前期、後期に分けた平安時代の流れです。
平安時代には、政変や戦が多く、おぼえるのが大変ですね。
資料集を見てみると、戦いの様子が地図上でわかりやすく順番に追えるので、
そちらも合わせて参考にしてみてくださいね。
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