2023年12月19日
重要
歴史の解説15〜明治時代〜
皆さんこんにちは、
s-Liveかながわ相模原富士見校スタッフです!!
前回は、明治時代の前半編として、国会開設までを確認しました。
今回は明治時代の後半として、
外国との関係に重点を置いてお話ししたいと思います!
明治後半には、
日清戦争、日露戦争という大規模な戦争が起こります。
ここでは、その経緯と国内政治の流れを、
簡単におさらいしていきますので、ぜひ最後まで読んでみてくださいね。
日清戦争が起こったのは1894年。
1890年〜1894年までの内閣は初期議会と呼ばれ、
薩摩、長州の人間が交代で総理を務める藩閥政府でした。
この藩閥政府に対抗するのが、民党や対外硬派と呼ばれるグループです。
政府と反対派の対立が、初期議会ではずっと続いていました。
しかし1894年、二回目の伊藤博文内閣の時に、
日清戦争が勃発します。
日清戦争は、どうして起こったのでしょうか。
まずは、日本と清(中国)の関係を知る必要があります。
日本と清の間には、当時日清修好条規という条約が結ばれていました。
この条約では、日本と中国が対等な関係であることが掲げられています。
そこに絡んでくるのが、朝鮮です。
当時の朝鮮は、
清に朝貢して、清の支配下にある国とされていました。
しかし、それと同時に、
日本は朝鮮に対して不平等条約を押し付けています。
条約を結ぶということは、朝鮮が自立した国であると認めることを意味します。
ですので、日本との不平等条約に清は反対。
朝鮮は清の支配下にある朝貢国なので、自立した国ではない、ということです。
このような形で、日本と中国は朝鮮をめぐり対立していました。
そんな中、朝鮮で起こった甲午農民戦争をきっかけに、
1894年の日清戦争は勃発するのです。
日清戦争のその後ですが、
日本は勝利し、清から多額の賠償金や土地をもらいます。
ただし、
日本の動きを警戒したロシア、フランス、ドイツによる三国干渉によって、
遼東半島は返還することになります。
日清戦争後の国内に戻ります。
日清戦争後も、伊藤博文や松方正義、山県有朋などが、
対立を繰り返しながら首相を務めていましたが、
1901年には、世代交代をします。
桂太郎と西園寺公望が交互に総理を務める、桂園時代です。
さて、1904年に起こった大きな出来事は、日露戦争です。
日露戦争の経緯も、簡単に見ていきましょう。
日本とロシア(露)の対立が深まった原因は、
ロシアの影響力が朝鮮、さらに中国まで進出してきたことにあります。
朝鮮政府にロシアが接近し、朝鮮内部にはロシアを支持する声も高まっていました。
朝鮮は日本に対抗して、国の名前を大韓帝国と改めます。
日本は思うように朝鮮を動かせません。
さらに、ロシアの軍団が中国の北東部に居座るという自体になり、
日本にとってはかなり厳しい状況になりました。
日本では、開戦を求める声が高まります。
そうして、1904年、日露戦争が起こります。
日本はなんとか勝利しますが、多大な軍事費のために借金をしたため、
結果は引き分けとも言えます。
結果的に、アメリカに仲裁をしてもらい、
ポーツマス条約を結ぶことで、日露戦争は幕を閉じます。
こうして、二つの戦争に勝利した日本は、
本格的に韓国の支配に乗り出します。
1910年、韓国併合条約によって、軍事力を背景に、
韓国は日本の領土となります。
今回はここまで、大きな戦争の流れを、ぜひ掴んでほしいです。
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